story

僕は子どもの頃から母の影響で、朝から夜まで音楽の流れる環境で育った。その中でもレゲエアーティストのBuju Bantonの音楽がとても好きだった。歌詞がわかるようになると、彼の発する言葉は、僕にいつも勇気をくれた。2023年のジャマイカ、偶然に偶然が重なって、ついに憧れ続けた彼に会うことができた。写真を撮影させてもらった後、彼がわざわざ時間をとってくれ、僕に色々な話をしてくれた。彼からもらった言葉は、決して忘れることのない一生の宝ものとなった。

2023年ジャマイカで憧れのBujuに会った時、彼と一緒にいたのがボブ・マーリーの息子のスティーヴン・マーリーだった。とても穏やかな笑顔で「ようこそジャマイカへ」と言ってくれた。僕がBujuの写真を撮っている間、母とスティーヴンは雑談をしていたらしい。後で母に彼と何を話していたのかを聞くと、「天気の話をしていた。」とまるでイギリス人のような返事が返ってきた。僕だったらきっとボブ・マーリーの話などを聞いていただろう。よりによってあのマーリー家の息子に天気の話なんてするかなと思ったりした。

僕は4歳の時、写真のモデルをしたことがあった。中盤のカメラを三脚ごと抱えてカシャ、カシャと写真を撮る写真家のおじさんがとても楽しそうにしているのが不思議だった。今思えば、その経験が僕が写真を好きになるきっかけだったと思う。少し大きくなって、その時の写真のおじさんが写真家のアラーキーだったと分かり、子どもながらに写真家ってきっと楽しい仕事なんだろうと思った。


福岡の相島で出会った97歳のおばあちゃん。僕が「おばあちゃん、昔は島のマドンナだったでしょ?」と聞くとこの笑顔を見せてくれた。おばあちゃんは今でも島のマドンナだ。


僕は母親の仕事の関係で、子どもの頃から海外のミュージシャンたちと過ごしてきた。特にジャマイカのレゲエミュージシャンとは家族のような関係だったので、日本の親戚よりも「おじさん、おばさん」と呼ぶジャマイカ人の方が多かった。そのため僕は10歳になるまで自分はジャマイカ人だと思っていた。最近になってジャマイカ人の友人にその話をすると、真顔で「いや、お前はジャマイカ人だ」と言われた。今でも小倉生まれ、ジャマイカ育ちだと確信している。


北九州のウラコクラ(僕が作った造語で小倉の裏通りの意味)では元気なおばあちゃんにいつでも出会える。このおばあちゃんは、何と80歳からキックボクシングを始めたらしい。


北九州市の黒崎の駅近くにある「エビス屋昼夜食堂」は創業60年を超える人気の大衆食堂だ。僕のお勧めは特大のコロッケと甘めの出汁の親子丼だ。月曜以外は24時間営業している。クラブで遊んだ帰りには温かい貝汁と焼うどんが僕の夜遊び定番メニューだ。(2023年にエビス屋は24時間営業に二本線が引かれているのを発見)